海南神社夏例大祭

71920日の両日、三崎下町で海南神社・夏の例大祭が挙行されました。ニュース、天気予報で「危険な暑さ」が連呼された両日。熱中症での救急車の出動はありましたが、とりあえずは無事に20日の2335分、海南神社に神輿が奉還されました。

 

平成29年に「三浦市指定無形民俗文化財」に指定された海南神社の例大祭。始まりは江戸時代とされています。当時は城ケ島の海南神社との、船に神輿を載せての海上渡御(舟渡御)が行われていたそうですが、明治中期に海上でケンカが起きて多くのケガ人がでたそうで、以来陸上渡御になったそうです。ある古老によれば戦時中も中止されなかったそうで、陸上渡御になってからでも約130年の歴史があります。近年は毎年「海の記念日」の前の土・日に挙行される例大祭ですが、30年ほど前までは7171819日というのが決まりでした。しかし過疎化による担ぎ手の減少などもあって、人が集まりやすい土・日に変更になりました。

 

海南神社の例大祭には三つの特徴があります。一つは平成4年に「三浦市重要無形民俗文化財」に指定された行道(お練り)獅子が宮神輿の先導をすること。二つ目は下町の7つの町内(以前は11ありましたが住民の減少により統廃合されました)による輪番制度(通称・年番)で実施されること。そして木遣(きやり)師と呼ばれるメンバーによる「木遣り」に合わせて獅子と神輿が渡御することです。年番は例えば今年が本年番(獅子番)なら5年後に神輿番、そして2年後にまた本年番というサイクルになっています。また木遣りの起源については諸説ありますが、三重県の伊勢の木遣りが基になっているという説が有力だそうです。伊勢の近海は漁場が狭く、漁師たちが三浦半島にやって来たという記録が残っており、海も山もある伊勢の網曳き唄や木挽き唄が伝わって、三崎の景気が良かった時代に存在した花柳界で流行った都々逸や端唄、小唄などの歌詞がこれに乗せられたといわれています。

 

歴史ある祭礼ですが、全国的に進む少子高齢化の波は避けられません。あの1トンを超えるといわれる大神輿の担ぎ手、そして年番制度などの伝統の維持など、例大祭に関する全てのことが精一杯というのが悲しいかな現状です。どう形を変えながらでも続けていけるのか?「伝統芸能」というものにとって厳しい時代です。(お祭りおじさん)