剱埼灯台


75日三浦市南下浦松輪に立つ劒崎灯台が解放されると聞き行ってみました。

地元の人は昔から剣崎(けんざき)と呼んでいますが、現在は国土地理院の地図上は剱崎、海上保安庁の海図では剱埼と使い分けがあるようです。京急三浦海岸駅から剣崎(けんざき)経由行のバスに乗り剣崎(けんざき)で降ります。

灯台までの道を、畑や、遠くに見え隠れする海を見ながら、歩くこと20分程、両脇を木立に覆われたゆるい坂を上ると灯台に着きます。

 三浦半島の南東に立ち、東京湾の玄関口、浦賀水道への航路を照らす洋式灯台は、1871年に日本で7番目に作られた八角形の白亜灯台です。1923年の関東大震災で被害を受け、再建されました。復興再点灯から100周年の記念イベントで、灯台内部を見学できるとあって大勢の人が列を作っていました。 

 中は狭い幅の螺旋階段で頭を低くして幾重にも回り、レンズまでたどり着きます。縦2.3m横2.4m、緑色と白色のガラスで作られた美しいレンズは震災に耐えたものだそうです。

一番大きなレンズが緑色の光、白いレンズは2つで緑と白の光が30秒ごとに一分間に2回、規則正しく入れ替わり30㎞まで海上に届けます。この春から、光源は電球から特注のLEDに代わりました。この灯台が初めてだということです。

 今は無人の灯台ですが当時は灯台守としての宿舎があり、人が住んでいました。雨の日、風の日波音のなかで暮らす日々、晴れた日の星空の夜は、どういう思いが溢れたのでしょうか?

海に囲まれた日本の、海の安全を支える人たちの熱い使命感に触れた時間でした。 (遥)