

好天に恵まれた6月7日、毎年恒例の海南神社「八雲祭(お天王さま)」の神輿渡御が海南神社青年会をはじめ三崎下町7町ならびに市内各神社青年会の手によって挙行されました。
午前10時に本殿前で担ぎ上げられた神輿は下町を渡御、午後10時過ぎに無事、海南神社に奉還されました。
米田郷海宮司によれば八雲祭の起源は江戸時代。氏子町内でコレラが大流行し「病魔退散」を願って神社の神官や町の人々が町内ごとにバトンタッチ(町内回し)で清めの塩をまいて回ったのが始まりとされます。
現在のような形になったのは昭和46年。先代宮司・米田光郷さんが当時、所属していた三浦青年会議所(JC)の仲間や氏子の若者を集めて「海南神社青年会」を立ち上げてからです。そして長らくは会員による新調した金色の神輿での渡御が続きましたが10数年前、少子高齢化に伴う担ぎ手不足が深刻になったため、原点に立ち返って各町青年会に協力を求めて「町内回し」が復活しました。
三崎下町の古老たちは八雲祭が終わるまで、きゅうりなどの「夏野菜」を口にしません。これは八雲祭の御祭神スサノオノミコト(須佐之男命)の御神紋が木瓜(もっこう=きゅうりの輪切りの図柄)なのが理由。そこから八雲祭は「三崎下町に夏の訪れを知らせる祭り」ともいわれます。
今年の八雲祭は折しも海南神社青年会創立55周年。今年度祭礼委員長を務めた第47代・藤太郎会長の発案で「こうした伝統の祭りが、後世も末永く続くように後継者を育てるために」と、初めての「子ども神輿」を新調しました。
三崎の祭りは獅子に神輿、そして木遣りが名物。7月の「海南神社・夏の例大祭」とともに、ふるさとの伝統的な行事がいつまでも続くことを願ってやみません。 (お祭りおじさん)